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コラム

Message From Hiromi
2004年12月28日
今年最後のビッグイベント
花王化粧品estの新作発表会に出演

花王化粧品の高級ブランドestの新作発表会にゲストとして出演させていただいた。司会の方と対話形式でのトークショーで、商品開発のコンセプトと写真撮影の共通点について触れるというもの。化粧品の働きと写真がどう結びつくのだろう?と思っていたのだけれど、これが意外にも共通する部分があった。反射、色調、透過性の三つの要素に基づく『光学3物性』によって生まれたestは、写真撮影の現場に例えるとフィルターまたはライティングにあたるコントロールを肌上で微妙に行っているそうである。モデル撮影のための特別なメイクでなくとも、日常使いの化粧品でこんなに効果的なら、気取らないスナップでもナチュラルな写りが期待できるかも。単にファンデーションは自肌により近い綺麗な肌色を塗ればいいと思っていた私には、新たな発見が多々。

今回のお仕事では写真家という立場はもちろん、女としても、このような華やかな席にお招きいただいたことを何より嬉しく感じました。会場は六本木ヒルズの40階、一日3回のショーを終えて、美しい夜景を見下ろしながら関係スタッフの方々と乾杯。緊張も溶けて談話中、司会役のSさんが姉の高校時代の同級生であったと判明しビックリ!これも何かの縁なのか、世間が狭いのか・・・?




2004年5月26日
写真展の開催にあたって

今年は私が写真家になって10年の節目です。写真展は2年半ぶり、4度目の開催になります。今回の展覧会では、2002年〜2003年に渡りルーマニアに滞在して撮り下ろした写真の中から70点を公開しています。帰国から僅か一年ですが、展示するポートレートの中には既に他界された方が2名おられます。「生きる」とは刹那な夢の連続であり、なんと短い営みだろうと感じずにはいられません。

1999年からルーマニア国内各地を旅して撮影を続けています。自身に欠けた心の栄養を求める、言わば『自分探しの旅』です。

「何故ルーマニアなのか?」それは、日本へ出稼ぎに来た数名のルーマニア人との出逢いがきっかけでした。異国に居ても母国流のもてなしで温かく私を迎えてくれた彼らに言葉では表すことが出来ないノスタルジックを感じ、それが何かを知りたくて出かけたのが最初の旅。わずかの休暇を利用した撮影では物足りず、土着の生活を感じなければ人々の本当の想いが理解できるはずがないとの思いから、しばらく現地に自分の身を置くことにしました。

「何故こんなにも惹かれるのか?」行く先々で出逢った人の優しさや愛に触れ、生きる力をもらいました。勿論いい人ばかりではなく、あさましく、ずるい人々の仕業を幾例も目の当たりにしました。それらの経験は「人間」の本質に気付かせてくれたように思います。
日本で生きることの意味や有り難さの稀薄な毎日を過ごしていた自分を見つめ直す好機となりました。

自由で幻想的なエスニシティーethnicity(民族性)がルーマニアの魅力です。人々の生きる姿は、まさにラプソディ(狂詩曲)を奏でるかのようです。

ごゆっくり、ご覧ください。




2003年12月26日
10月23日 母親になった私

この数ヶ月間、コラムも書かんと何をしていたかというと、妊娠出産を初体験していました。ひとつの人間を作り上げる役割を担うと不思議なことに、もう自分が自分でなくなるのです。胎児に養分を送るために食事を取り、皮下脂肪を蓄え、呼吸さえ楽ではありません。自分が妊婦になるまで、養生してさえいれば月日が満ちると皆、無事に生まれるのだと誤解していました。

懐妊を告げられたときから無事に生まれるまで、胎児の健やかな成長を願う毎日。

ひとりになって気の向くまま7ヶ月ルーマニアを放浪していた私は、たくさんの出逢いから家族や愛について考えさせられたのだった。そこで大切にしたいことが見つかった。

自分勝手に生きていた私は、誰かのために生きることを覚えました。


11月某日 指導の賜物

入院が長引いたおかげで母乳指導が充分受けられた。最初は涙目になるほどの痛みを堪えながらも僅かしか出なかったのに、身体の機能は良く出来たもので、ちゃんと出るようになった。里帰り前、近所の世話焼きオジサンの鈴木さんが「頼むで、母乳で育てやぁよ。ええか」と言っていた。「ミルク代の節約のため、出るものは使いまーす」と冗談で返したら、真顔で母乳の良さを語りだした。鈴木さんは遠くの我が子より近所の私たちが気がかりなのだそうだ。お乳を勢い良く飲んでいる子供の顔を見ながら、これなら胸張って鈴木さんに報告できるなぁと思っていたら、旦那からの連絡で、鈴木さんが母乳の出具合を心配しているとのこと。以心伝心と言おうか、あまりのタイミングのよさに笑ってしまった。そして心から応援してくれていることに感謝した。


12月某日 幸せを学ぶために不幸を知る

オムツや諸々の物を買いに出かけた帰り、空はドラマティックに夕焼けていた。最近は子供に終始して、自然や風景に心動かされ写真を撮る機会が減っていたことに気づいた。私は幸せなときシャッターを押さない傾向にある。

満たされないと人間は、はけ口を探す。
人は幸せを学ぶために不幸を知る。

私にとって写真は幸せを見つけるプロセスなのだ。




2003年7月22日
自家製ヨーグルトはじめました

ゴミ出し指導から健康生活のススメまで、お世話好きな近所のオジサン鈴木さんからヨーグルトの種菌を分けてもらった。「ヨーグルトきのこ」と呼んでいたけど、どうも粘り具合が「カスピ海ヨーグルト」っぽい。もともとヨーグルトは好きなので私は大いに喜んだ。培養系は夏休み気分がよみがえりワクワクする。編み物、お菓子作りなど、いつも完成品が教本と大きく異なる不器用な私でも、かき回すだけなら失敗するまい。ただし、ルーズなので醗酵時間が守れるか、雑菌根絶を徹底できるかがポイント。腕も技も関係なく、ただテーブルに放置。翌朝、牛乳がポテポテになっていた。ゆるめの白いゴマ豆腐って感じ。小鉢1杯を食べた2時間後、乳酸菌による乳酸発酵と酵母によるアルコール発酵は体内でも進んでいたようで・・・

世話好きの鈴木さん、ありがとう。
ようやく私が起きてゴミをすてるころ鈴木さんはツルツル頭に手ぬぐいを被り軽トラで出勤。
「ヨーグルトできたか!そーか、よかった、よかった」 そりゃ手馴れた鈴木さんが作ったんだもの。
私はテーブルに運んだだけ。

鈴木さんは私の徹夜もお見通し。コウモリ退治のノウハウも教えてくれる。
まだ、朝5時の散歩と酒風呂は実行していない。




2003年7月22日
ある本によると「我慢して生きている人間は周囲の人も不愉快にさせてしまう」のだそうです。

あなたのそばにも、そんな人いませんか?
心軽く気持ち良く暮らしたいものです。まずは好きなことを見つけることから考えてみよう。あくまでも、無理なく自然にね。




2003年6月30日
一つオススメのソースを紹介します。

気が向いたら試してみてください。

『ルーマニア風ソース』
■作り方/ヨーグルトに、みじん切りの玉ねぎを混ぜて塩コショウ少々で出来上がり。
本元はニンニクの絞り汁も入れるのですが匂いが気になるなら、お好みでどうぞ。

焼肉やバーベキュー、チキンカツなど肉料理に合います。
焼肉のタレとポン酢の中間に位置する爽やかな味わい、胡麻ダレに負けないインパクトが売りです。
肉に限らずイカフライにかけて、青しそ入りのソーメン、ビールなんて「日ル折衷」もよろしいかと。




2003年6月26日
絶命ツバメに教わる命の考察

「笑う角には福来たる」


数日前のこと。ツバメの雛が巣から落ちて死んでいた。日常いろいろ写真に撮っているけれど、この場面は気が進まない。このままじゃ車のタイヤで踏んじゃうよ。触る勇気は無くて、とりあえず棒切れで隅っこへやることにした。よっ、うまく転がらない・・・よっ、もうちょっとだ・・・。まだ肌が柔らかい。ちょっと羽が生えかけているけど、まだまだ肌むき出し。ひ〜、生々しいよ〜!・・・よく見ると何か極細の糸が絡まっている。親鳥が巣作りに使った泥に混じっていたのだろうか。たまたま環境の中の不純物を拾ってしまった。不運だ。

イラクでは爆撃のショックで早産が増加したそうで、妊娠6ヶ月で生まれた赤ちゃんがテレビに映っていた。なんだかツバメの雛と似ている。身体は骨ばっていて皮膚が透け、やけに頭が大きくて瞼が異様にプックリしている。手のひらに乗るほどの大きさで人間らしくない容姿。でも、口からベロを見せる仕草は赤ちゃんらしい。未熟児は増える一方で保育器が足りず、あっても電源が入らず酸素が送れないという粗末さで、ボランティアの医師が「機器があれば助かるのに」と残念がる。結局その子は生育できず、さらに細って亡くなった。たまたま時代が悪かっただけ。不運だ。

これが『淘汰』でしょうか。

「心中はいけません!残された子供は国の保護で立派に育つんですから」と救命士が講義で言った。『生きている』のは簡単でも、『生きていく』のは不運な人にとって難しい。親が世の中から淘汰されても子が実の親に淘汰されちゃカワイソー。道連れは少子化の今もったいない。日本はキレイ事を並べて弱者が擁護される世の中ですから死ぬまでも無い。死ぬというワガママな行為ができる勇気があったらワガママ言って生きたほうが得でしょう。

ひと月たった一個の卵子と何億といる精子の中の一つが偶然に結びついて人間が生まれるわけで、誕生までに数々の危険もあり、かくいう私も命が芽生えたころ中絶の危機を姉の「姉妹が欲しい」の一言で救われた身であり、母親が長崎の原爆を体験して無事だったことを考えると2度も危機を乗り越え受精戦線を突破できたことは大いに幸運だった。

せっかく生きているのなら笑って暮らしたいものだ。自分の幸せとか不幸せって多かれ少なかれ自身が招く。『笑う角には福来る』とは本当だと思う。



2003年5月26日
ルーマニアから帰ってからというもの微妙な心境の変化を感じています。撮りたいものや衝動に変わりは無いのですが、自分の国や性に目が向いてきたようです。生まれながらの自分だからこそ、というもの、それは何かを考えています。次は『私は女性』であることを意識した視点でテーマを組んで撮り始めようと思っているところです。






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